今日で東日本大震災から8年が経ちました。(2019年3月11日) 2010年4月に京都に来てから1年が経とうとしていた2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。 京都に来てからの8年5ヶ月間、仙台を訪れる機会が一度もありませんでしたが、昨年8月末、ようやく仙台に行く機会ができました。 その時のことを書いておこうと思います。 飛行機が仙台空港に着陸する直前、飛行機の窓から見えた海沿いの仙台空港周辺は、更地がかなり多いように見えました。
仙台駅への電車からは日が暮れてしまっていて外がほとんど見えなかったけれど、仙台駅が近くなり、八木山に立つライトアップされたテレビ塔が見えてきた時には、仙台に来た実感が強くなってきました。
仙台駅に着いて駅前のペレストリアンデッキに出ると、駅周辺は以前とあまり変わらない印象でちょっと安心した感じを受けると同時に、復興したのかな?という思いになりました。
後日、仙台市内を一望できる仙台駅横の高層ビル、アエルの31階の展望デッキへ。 どんよりとした曇り空の下、市内を360度見渡すと、大学時代のことを思い出しました。そして、その街が大震災にあったことがとても悲しく感じられました。
青葉山方面
海側
震災の時に仙台にいなかった自分にとって、少しだけでも震災のことがわかる場所はないかと思いインターネットで検索すると、地下鉄東西線の東の終点、荒井駅に「せんだい3.11メモリアル交流館」という施設があることを知り、訪れることにしました。
せんだい3.11メモリアル交流館
http://sendai311-memorial.jp/ せんだい3.11メモリアル交流館には、当時の写真やその後の復興の様子が展示されていました。震災の爪痕が刻まれた体育館の床もありました。 展示を見ていると、案内の方が声をかけてきてくれたので、仙台に住んでいたことなどを伝えると、当時の様子や現在の状況などを詳しく教えていただけました。
さらに、もし時間があればということで、
震災遺構となった「仙台市立荒浜小学校」にここからバスで行けることを教えていただきました。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
バスで約15分、着いた途端に、猛烈なゲリラ豪雨。
急いで元校舎の1階に駆け込むと、津波に襲われた廊下や教室が当時のまま残されていました。とてもじゃないけど自分の携帯でそれらの写真は撮れませんでした。
止まった時計、グニャっと曲がった鉄柵も。
階を上がると、周囲に広がる更地の緑と穏やな太平洋が窓の外に見えました。
地震発生から津波、孤立、救助までの経過をまとめた記録映像も流されていました。
雨はいつの間にか止んでいました。
仙台での多くの経験を糧に、これからの日々を大切にしていこうと思います。